今回は愛知県長久手市のトヨタ博物館に展示されていたMercedes-Benz 300SL(メルセデス ベンツ)を紹介します。
Mercedes-Benz (メルセデス ベンツ)の歴史と実績

1880年代のドイツでは、カール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーという2人の天才が自動車の発明に大きく貢献しました。
カール・ベンツは1885年に世界で初めて自動車という乗り物を製作。「ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン」と名付けられたこの自動車は、ティラーと呼ばれる棒状のハンドルで前輪を操舵する3輪自動車で、小型軽量の単気筒エンジンを搭載し最高速は時速15km/hでした。
一歩ゴットリープ・ダイムラーも、1885年にガソリンエンジンの特許を取得。翌1886年には駅馬車にガソリンエンジンを載せた世界初の4輪自動車「ダイムラー・モトールキャリッジ」を走らせています。
1926年、2人の天才が設立した「ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社」と「ベンツ&カンパニー」が合併して誕生したのが「ダイムラー・ベンツ社」です。
ガソリンエンジンを使った乗り物=自動車を、ほぼ同時期に発明した2人の天才が手を組むことで、第一次世界大戦の敗北で疲弊したドイツ経済を、何とか立ち直らせたいと考えたドイツ銀行が間に入ることで、この合併が実現したと言われています。
「メルセデス・ベンツ」は、この「ダイムラー・ベンツ社」の自動車用ブランドになります。
「メルセデス」のブランド名が初めて使われたのは、合併前の1900年に発表した「メルセデス35PS」です。
「ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社」の技術者だったウィルヘルム・マイバッハの手で開発されたこの車は、馬車にエンジンを搭載したそれまでのスタイルとは打って変わり、様々な点で現代の自動車に限りなく近い設計となっており、自動車の設計概念を明確に定義づけた車と言われています。
メルセデスの有名なエンブレム「スリーポインテッド・スター」もこの頃に登録されました。
エンブレムの3つの先端は、それぞれ「陸・海・空」を意味していると言われています。
メルセデスは当初からモータースポーツにも積極的に参戦しています。
現在でもメルセデスのレースマシンを「シルバーアロー」と呼ぶことがありますが、これは1934年のグランプリレースで使用した「メルセデスW25」が発端で、徹底的な軽量化のために塗装を剥がした車体がアルミの地肌色(銀色)だったことから名付けられました。
メルセデスは「安全技術」にも秀でた技術を持っています。
1939年に「自動車は安全な乗り物でなければならない」という概念を掲げ、Mr.Safetyと呼ばれたベラ・バレニーは、ボディの前後を潰れやすくしたセイフティシャーシの開発、事故調査部の創設、クラッシュテストの実施等を通して、2500もの特許を取得しました。
彼はこれらの特許を全て無償で公開し、その多くが今日の自動車には欠かすことの出来ないものとして人々の「安全」を守り続けています。
Mercedes-Benz 300SL(メルセデス ベンツ)とは

Mercedes-Benz 300SLは1954年に登場した高級スポーツカーです。
SLは「Sport Leicht(シュポルト ライヒト)」の頭文字を取ったもので、そのまま訳せば「軽量なスポーツカー」を意味しています。

最大の特徴は左右跳ね上げ式の「ガルウイングドア」です。
「ガルウイングドア」を市販車に採用したのは、この300SLが世界初でした。

「ガルウイングドア」は、レーシングカーを基本とした300SLの構造ではベストなドア形状として採用されましたが、高いサイドシルのため乗り降りには非常に気を遣うものでした。
また窓の開閉も出来ずエアコンも効かなかったため、炎天下でのドライブは困難を極めました。

エンジンには直接噴射装置を世界初採用。
最高出力215馬力を発生する直列6気筒2996㏄エンジンをフロントに搭載し、リヤタイヤを駆動するFR方式のスポーツカーでした。

トヨタ博物館に展示してある車両は1955年モデルです。
特徴的なガルウイングドアの300SLは、1400台ほど生産されましたが、1957年には生産が廃止され、その後は通常タイプのドアを持つオープンモデルに移行しました。
Mercedes-Benz 300SL(メルセデス ベンツ)YouTube動画
元F1ドライバーで2016年のワールドチャンピオンであるニコ・ロズベルグの動画です。
モナコの海岸線等を走る風景が楽しめます。
Mercedes-Benz 300SLがボンネビル・ソルトフラッツ(Bonneville Salt Flats)を走行する映像が楽しめます。