今回は愛知県長久手市のトヨタ博物館に展示されていたDino 246GT(ディノ 246GT)を紹介します。
Ferrari(フェラーリ)の歴史と実績

フェラーリは1947年にイタリアで創業した自動車メーカーです。
創業者のエンツォ・アンゼルモ・フェラーリは、アルファロメオ等のレーシングドライバーとして活躍した後、経営者としての頭角を現し、第二次世界大戦後の1947年に「フェラーリ」を設立しました。
フェラーリとして最初に製造した車両は、レーシングカー「125S」です。1シンダーあたりの容積(125cc)とSPORT(スポルト)から名付けられた「125S」は、ローマグランプリでいきなり優勝を果たすなど、その年のレースを12戦6勝と素晴らしい戦歴で終えました。
初期のフェラーリは、このように製造したレーシングカーでレースに参戦することで知名度を上げ、王族や富裕層向けに高性能なGTカーを少量生産・販売することで経営を安定化させていました。
フェラーリ初の一般向け自動車は、1953年に発表した「250」です。
4人乗りクーペボディのフロント部には、V型12気筒2,963ccが搭載されていました。
エンツォは当初から12気筒エンジンへのこだわりが強く、後に「12気筒以外のエンジンを積んだ車はフェラーリではない」とさえ言い放っています。
1950年代前半のフェラーリは、モータースポーツで得られた高い名声を武器に事業を拡大していきましたが、1950年代後半になるとモータースポーツへの過剰な投資や市販車の生産性の低さが経営に影響を及ぼすようになりました。
1956年にはエンツォの息子ディーノが筋ジストロフィーを患い、僅か24歳でこの世を去るというショッキングな出来事もありました。
1960年代初頭に更に経営が悪化したフェラーリは、ジウジアーロがデザインした小型スポーツカーを発売します。
フェラーリのブランドイメージを保つため、「ASA」ブランドで発売された廉価版フェラーリは、経営を立て直す使命を受けたものの販売は低迷。プロジェクトは失敗に終わりました。
1963年にはフォードによる買収計画が立ち上がりましたが、最終段階で決裂。この出来事に怒ったフォードが、ル・マン24時間レースでフェラーリを倒すべく開発した車両があの有名な「フォード・GT40」です。
「フォード・GT40」はその後改良を重ね、1966年のル・マン24時間レースでフェラーリに勝利しますが、目的達成のために約3年という長い年月を費やすことになりました。
1966年のル・マンで苦杯を喫したフェラーリでしたが、翌1967年にはフォードの地元アメリカで開催されたデイトナ24時間レースで優勝しリベンジを果たします。フォードへの当て付けに、翌1968年に発売した「365GTB/4」に「デイトナ」という呼称を付ける等、当時フェラーリとフォードはレース場以外でも戦いを繰り広げていました。
●12気筒シリーズ
1973年に「365GTB/4(デイトナ)」の後継モデルとして登場したのが「365GT4BB」です。デイトナはFR(フロントエンジン・リアドライブ)でしたが、「365GT4BB」は12気筒エンジンをミッドシップに搭載し最高速300kmオーバーを誇りました。
「365GT4BB」以降の12気筒エンジン搭載車は、MR(ミッドシップエンジン・リアドライブ)が主流となります。
1976年には「512BB」が登場。「512BB」は「365GT4BB」のマイナーチェンジ版で、外観にほぼ違いはありませんが、排気ガス規制の影響で低下したエンジンパワーを補うため、排気量が5リッター(4942cc)に拡大されました。
1984年には「512BB」の後継モデルとして「テスタロッサ」が登場。イタリア語で赤い頭を意味する「テスタロッサ」は、ボディ両側に設けられたスリット状の大型エアインテークが特徴的なGTカーでした。
1991年に「512TR」、1994年に「F512M」が登場しますが、12気筒を搭載したMRはここで途絶えることになります。
1996年に登場した「550マラネロ」は、「365GTB/4(デイトナ)」以来久々に12気筒エンジンをフロントに搭載するFR方式を採用。排気量5474ccから485馬力を発生し、最高速320km/hを誇りました。
12気筒FRシリーズは、その後「575Mマラネロ」「599GTBフィオラノ」「F12ベルリネッタ」「812スーパーファスト」と続いていきます。
●8気筒シリーズ
1960年代後半にはフィアットとの連携が始まり、初めて12気筒エンジン以外を搭載した車両が登場しました。
その車両はV型6気筒エンジンをミッドシップに搭載し、正真正銘フェラーリが開発したモデルでしたが、「12気筒以外のエンジンを積んだ車はフェラーリではない」というエンツォの意向でフェラーリとは名乗らず、亡くした長男の愛称「ディーノ」を冠した「ディーノ・246GTS」として発売されました。
1975年には「ディーノ」後継モデルとしてV型8気筒エンジンを搭載した「208/308」が登場。親会社であるフィアットの意向もあり、この時点で「ディーノ」ブランドは廃止されました。
V型8気筒のMR(ミッドシップエンジン・リアドライブ)シリーズは、その後1985年に「328」が登場。「348」「F355」「360モデナ」「F430」「458イタリア」「488GTB」「F8トリブート」と続いていきます。
●スペシャルモデル
モータースポーツ活動を積極的に行っていたフェラーリは、レースへの参戦を目的としたホモロゲーションモデルや限定モデルを数多く製造。
「288GTO」「F40」「F50」「エンツォ・フェラーリ」「ラ フェラーリ」等がそれに当たります。
1984年に登場した「288GTO」は、「308GTB」をベースにグループBのホモロゲーションに沿って製造された特別モデルです。V型8気筒2855ccエンジンにターボを2基装着することで最高出力は400馬力を誇りました。
1987年に創業40周年を記念して登場した「F40」は、翌1988年に死去したエンツォの遺作として特別扱いされることも多いモデルです。
モノコック+サブフレームの車体に、478馬力を発生するV型8気筒2936ccツインターボエンジンを搭載し、カーボンケプラー素材を多用したボディを被せただけ車体は、実用性の欠片もないレーシングカーそのものでした。
1997年に登場した「F50」は創業50周年を記念したモデルです。
角ばったデザインの「F40」に比べると曲線を多用した優雅なデザインに変更され、ある程度の実用性も持たせていましたが、スペックは強力で、V型12気筒4698ccの自然吸気エンジンなどF1の技術を惜しみなく投入されたモデルでした。
2002年には創業55周年記念モデルが登場。車名に創業者の名前「エンツォ・フェラーリ」を使用したモデルでした。
F1マシンを意識したデザインは、ピニンファリーナに在籍する日本人デザイナーが担当し、V型12気筒5998ccの自然吸気エンジンに組み合わされる変速機は、F1マチックと称されたクラッチペダルの無いセミオートマチック方式のトランスミッションでした。
2013年に登場した「ラ・フェラーリ」は、市販フェラーリでは初のハイブリット搭載モデルです。
V型12気筒6262ccの自然吸気エンジンに、F1のKERS(改正システム)を組み合わせることで、システム出力は963馬力を誇りました。
Dino 246GT(ディノ 246GT)とは

1960年代後半にフィアットとの連携が始まり、フェラーリとして初めて12気筒エンジン以外を搭載した車両が登場しました。それが「Dino(ディノ)」です。

エンツォの「12気筒以外のエンジンを積んだ車はフェラーリではない」という意向からフェラーリのブランド名は使われませんでした。
代わりに付けられたブランド名「Dino(ディノ)」は、エンツォが1956年に亡くした息子の愛称から付けられました。

1969年に登場した「Dino 246GT」は、「Dino 206GT」の改良版です。
V型6気筒2418ccエンジンをミッドシップに搭載し、最高出力は196PS、最高速235km/hを誇りました。

ボディサイズは全長4,230mm×全幅1,702mm×全高1,110mmと、フェラーリらしいロー&ワイドな美しいスタイルを実現。
フロントからリヤにかけて流れるような曲線美が特徴です。

デザインはレオナルド・フィオラバンティが所属していたピニンファリーナ。
メリハリのある引き締まったデザインは、当時から非常に評価が高かったようです。

真横からのスタイルは、ボディ中央を頂点に左右対称に見える独特なもの。

GTはクーペモデル、GTSは取り外し式ルーフを備えたタルガトップモデル。
トヨタ博物館に展示されていたのは、ルーフが黒く塗られたタルガトップモデルでした。

サスペンションは前後ともダブルウイッシュボーン式。
モータースポーツで鍛えられた絶妙なセッティングで、ワインディングロードを安心して走らせることができました。

内装はフェラーリそのもの。
ステアリング中央の黄色いDinoやゲートが区切られた5速マニュアルが気分を盛り上げてくれます。
Dino 246GT(ディノ 246GT)のYouTube動画
おなじみPetroliciousの素晴らしい映像美。
もちろん映像だけでなくフェラーリのエンジンサウンドも楽しめます。
Dino246GTでは珍しいシルバーボディが新鮮な映像。
Forzaチャンネル